「気付く」ということ
どうも、柑橘類です。
ほんの少し外に出ただけで、手の甲を蚊に刺されました。かゆい…!
「気付く」ことで、無意識の状態から意識している状態へと変化します。
例)
「なんか、かゆい」→蚊に刺されていることに「気付く」→意識する→かゆいが止まらない
我ながら良い例が出せましたね!(笑)
私は、小さい頃からよく無意識に自己分析を行っていました。
そして、悩み始めることによって、「私は『自己分析・分析』することが好きなんだ」ということに気付きました。
気付いてしまったのです。そして、抜け出せなくなったのです。
私は今、【矛盾していること・答えの無い問いに答えを出そうとしてしまう結果、自己分析が止まらなくなる】という、「全ての悩みの根元」と、「普通とは何か」問題の無限ループに苛まれています。
この記事を書いている時点では、分析することを楽しいと感じることができています。
この状態が続けば問題ありません。辛くないから。
問題となってくるのは、【何かのきっかけで『分析をしたくない自分』の存在に『気付く』と、死ぬほど辛くなる】ということなのです。
明日やっと医者に行けます。
なんとしてでもカウンセリングしてもらえるところまでもっていき、「理解」してもらえるまで全て伝え、「答え」を得てきたいです。
またあとで何かアップすると思います。
その時の私が、「分析を楽しんでいる自分」でありますように!