理解してもらうには、「自分」を理解しなければならない
おはようございます、柑橘類です。
スマホとPCを使ってブログを書いています。
そのせいなのかなんかよく分からないけど、編集モードが勝手に「見たまま」になったり「はてな記法」になったりします。
勝手に変わるなや!統一してくれや!(笑)
(柑橘類は言葉遣い荒めです、今さらの補足ですが)
昨晩寝る前、勢いでなぜか悩みのことを母に話していました。
話し始めると必ず涙が出てきて、うまく話せなくなります。医者でもこうなるから嫌なんですよ…。
だから、紙やブログ等に「書く」のでしょう、例の思考が邪魔しますが。(でも今書けているから、少し乗り越えたのかも)
「話す」方が無意識にでもその思考の影響を食らうのでしょうね。
母は、例の回答者さん同様、「理解」「共感」「納得」の違いが分かっていないようです。
「お医者さんでもきっと、あなたの苦しみはわからないと思うよ」
こう言われてしまいました。
そして、「ゲームをすること以外で、何かに熱中したら?」「体を動かすといいのかも」「一緒に料理をしてみようか」等、母の考える解決案を提示してくれました。
母は、例の回答者さん同様、「理解」「共感」「納得」の違いが分かっていない。
これが相当効いたみたいで、母の言葉は頭に入ってはきても、「納得」へはうまく繋がってくれませんでした。
「治すのは無理だと思う。一生付き合っていかなきゃだと思うよ。」
この言葉を受け、私は完全に矛盾する2つの思いに気付きました。いや、はじめから分かっていたのかもしれません。
【なんとしても治したい自分】と【治せないから受け入れようとする自分】がいるのです。
【すべて打ち明けると、悩んでいた内容・話したり書いたりした内容が分からなくなる】
この思考は、
【こうして書いたり、誰かに話したりすると、それが現実となってしまう】
この思考と密接に関係していそうです。
こいつら「セットでお得!」とかほざいてきたらぶちギレそうだ(笑)
母に話したら、案の定訳が分からなくなりました。
でも訳が分からなくなったおかげか、割りとぐっすり眠れました!
(まあ、夜中に1回は目が覚めたけど)
ぐっすり眠ると、気持ちはかなり落ち着きます。
またそのうち分析は始まるのでしょう。
でも、とりあえず今は落ち着いているからいいです。
このブログを書くこと自体が分析になっています。今、何を書いているか訳分からないです。
ちなみに、今は分析を楽しんでいる状態です。
頭の中のことを全て書き出しているので、書くべき内容の順番が色々ぐちゃぐちゃになります。
でも、人間の頭の中なんてそんなもんでしょう?知らないけど。
とりあえず、支離滅裂で申し訳ありません。
(ちなみに、Twitterは思ったことをすぐにツイートするので、ブログより少しは見やすいのかも)
このことについては、後でアップしてみたいですね。
唐突な疑問ですが、ブログのコメントって、どこまで返事してもいいのか分かりません。個別でやり取りできる場って、何かあるんですかね?