「私」を「私」たらめるものは「記憶」
どうも、柑橘類です。
真っ先にこっちを書きたかったけど、色々な人を巻き込んだ以上、やっぱり報告は必要かと…。
で、本題です。
「私」だの「自分」だの分析していて、思ったんです。
「私」を「私」たらめるものってなんだ?
レッツ☆分析!
[以下、私の分析経緯と分析結果です。必ずしも正しいとは限りません。]
「私」は主観的なもの
「自分」は存在そのもの
って定義したな。
じゃあ、主観的な「私」って何?
「私」は、死ぬまでずっと「私」なの?
でも、記憶喪失になったら「私は誰?」ってよく言ってるじゃん。
傍から見りゃ姿形はそのままじゃん。
…一旦落ち着こうか。
「自分」は「存在そのもの」
これは死ぬまで変わらない。
それに対して「私」は、
「私」の記憶が無くなっちゃえば「私」ではなくなる。
じゃあ、一貫した記憶がある「私」は、一貫した「自分」であり、一貫した「私」であるってことか。
おお、自分で書いておきながら混乱してきたぜ(白目)
[分析終了]
いつも通りの混乱フィニッシュ!お見事です、私よ(笑)
今これを読んでいるあなた、理解できそうですか?
私は日によって理解できなさそうです(笑)
パソコンだいぶいじってるけど、ばれたら叱られるのかなあ…。