伝えられないのはもどかしい
こんにちは、柑橘類です。
生活にメリハリがなくなってきたせいで、感覚がよりがばがばになってきました。
…早寝早起きしよう。
この記事を書く前に、これらの記事を読みました。
みなさん、自分の経験や考えなどを書いてらっしゃる。
全部、書いた方々の「事実」だよなあ。
ふと思ったんです。
自分以外の人の「事実」って、自分にとっちゃ結局全部「誰かの『事実』」なんだよなって。
自分以外は全部、フィクションなのかなって。
でも、自分以外の人だってそれは同じこと。
つまり、自分(私)以外の人からすりゃ、自分(私)は他人(フィクション)なんだよな。
書いた内容を読み返してみる。
感じたままをそっくりそのまま表現したいから、じっくり読み返す。
さっきまで自分自身が感じていた、紛れもない「事実」だっていうのに、もうそれはただの「物語」になっていて、フィクションのように感じられる。
…うまく言えないな。
ちょっと投げ出すか(笑)
的確に表現できる人って、うらやましい。
自分の思いとか考えとかを、上手に伝えられたらいいのになあ。
伝えられなくても諦めずに発信していくし、諦めずに汲み取ってほしい。
そうやって諦めずに汲み取ってくれる人は、本当にすごいと思う。
そういう人間になりてえわ。
柑橘類は、性別という概念が鬱陶しいと感じています。
「男なんだから」「女なんだから」って言うの、やめない?
このことについては、そのうち書いてみようかな。